御前埼灯台の歴史
「150年前から御前崎の海の安全を見守ってきた灯台
御前崎沖を航行する船舶の安全を見守る御前埼灯台は、灯台技術の革新とともに光源も石油から電力へと変わり、光力も増し、充実していきました。
この間、暴風雨や塩混じりの烈風に耐え、昭和10年(1935年)におきた静岡地震(M6)や昭和19年(1944年)の東南海地震(M8)の時も、わずかに灯台にひび割れを生じましたが、灯台の使命を損なうことはありませんでした。
しかし、第2次世界大戦中、サイパンから飛来する米軍のB29爆撃機や艦載機の侵入空路にあたった御前崎上空は、昭和20年(1945年)7月24日から28日まで、連日襲って来る艦載機の機銃攻撃を受け、レンズ、投器、回転機械などを破壊され、一時は光明を失いましたが、仮設の灯器を設置しこの急場をしのぎました。
昭和24年(1949年)になって復旧工事が行われ、3等大型2面レンズに変わりましたが、110万カンデラと戦前の2倍近い光度となりました。その後、レーマークビーコンやレーダーなどハイテク灯台設備とともに海の難所「御前崎沖」を航行する船の安全を見守ってきました。
灯台の管理業務をする「御前埼航路標識事務所」は、施設の近代化や業務の合理化などにより平成11年(1999年)3月31日廃止となり、125年にわたる灯台守の歴史に幕を閉じました。
4月1日から下田航路標識事務所を除く静岡県内の灯台を管理する静岡航路標識事務所が新設され、御前埼灯台も遠隔装置により管理されています。更に、平成17年(2005年)4月1日からは清水海上保安部の管轄となりました。