できごと

灯台と共にあった御前崎の歴史

1917年 灯台周辺観光施設整備に着手

御前崎町(当時)は昭和63年(1988)から平成4年(1992)にわたり、灯台から潮騒の像に至るケープパーク内に遊歩道を整備しました。ポケットパーク(地球が丸く見えるん台、夕日と風が見えるん台)、休憩所、案内板、展望台、ベンチ、外灯、公衆トイレ、詩碑、見尾火灯明堂(復元)などが設置され、灯台のライトアップも始まりました。

1956年 南極観測用の風力発電試験

 昭和31年(1956)、御前埼灯台の南側(売店がある見晴台)で、本田技研工業株式会社が第一次南極観測用の風力発電の実証試験を行いました。
 これを経て、観測船「宗谷」に乗せ南極大陸に向かいましたが、陸揚げ中、突然襲われたブリザード(嵐)により海中に落とし “幻の風力発電機”となってしまいました。

1956年 高松宮殿下が灯台をご視察

昭和31年(1956)5月24日、高松宮殿下が灯台をご視察されました。
「私も海軍時代にこの沖を数回軍艦で航行したことがある。真っ暗な夜に、灯台の光を眺めるとほんとうにうれしかった。」
と述べられました。

1957年 映画「喜びも悲しみも幾歳月」のロケ

灯台守夫婦の半生を描いた木下恵介監督の映画ロケが、昭和32年(1957)、佐田啓二さん、高峰秀子さんらを迎えて行われました。地元婦人消防団員も竹槍訓練のエキストラとして出演しました。

1958年 世界初の海上三脚灯台「御前岩灯台」

昭和33年(1958)、御前埼灯台の東方3kmの海上「沖御前」に御前岩灯台が設置されました。工事費3,268万円はこの年度の御前崎町の予算とほぼ同額の大規模な工事でした。御前崎沿岸では明治18年(1885)から昭和33年(1958)までに150隻余の遭難事故が発生し、その7割弱が御前岩への乗り上げ事故でしたが、この灯台により事故は無くなりました。

1972年 テレビドラマ「喜びも悲しみも幾歳月」のロケ

昭和47年(1972)6月、TBSテレビドラマ「喜びも悲しみも幾歳月」のロケが、園井啓介さん、吉行和子さん、小坂一也さんらを迎えて行われました。

1972年 御前埼灯台での結婚式

昭和47年(1972)6月、千葉県のカップルが、純白の灯台に見守られて結婚式を挙げました。 平成27年(2015)にはブライダル用の写真撮影に訪れたカップルもいました。

1974年 「御前埼灯台百年祭」が開催される

初点灯以来海を照らし続け船乗りを守ってきた、御前埼灯台の設置100年を祝う「御前埼灯台百年祭」が昭和49年(1974)5月23日に、御前崎町(当時)など関係者や来賓、約500人が出席し盛大かつ厳かに行われました。
 イギリス大使の名代として臨席されたアンソン海軍大佐は、「この灯台とブラントン技師の業績が、遠く海をこえて日本と英国の深い友好のシンボルとして永久に続くことをお祈りします。」と述べられました。

1974年 「ふるさとの灯台」の歌碑建立

浜松市出身の清水みのるさんが戦時中、大東町千浜で、海岸防備隊の任についていた頃、御前埼灯台の灯りを見て作詩しました。その歌を田端義夫さんが歌って大ヒットしました。それらを記念した歌碑が昭和49年5月23日に建立されました。

1981年 天皇陛下が皇太子時代に灯台をご見学

昭和56年(1981)8月21日、学習院大学文学部史学科の卒論合宿のため、御来静の徳仁親王殿下(現天皇陛下)が、御前埼灯台をご見学されました。昼食後、海岸を散策された殿下は、「御前崎は、地球が丸ぁるく見えて、空気がおいしく、素敵なところですね。」と感想を述べられました。

1982年 新幹線「ひかり号」が灯台下道路を通過

昭和57年(1982)6月21日、北海道帯広市で開催した北方圏農林博覧会「グリンピア82十勝博」に展示するため、現役引退した新幹線車両が、国鉄(現JR東海)浜松工場から大型トレーラーに乗せられ御前埼灯台下の道路を運ばれました。御前崎港から船積みされ海路を北海道に送られた車両は博覧会後、旧広尾線大正駅跡に展示されています。

1988年 灯台周辺観光施設整備に着手

御前崎町(当時)は昭和63年(1988)から平成4年(1992)にわたり、灯台から潮騒の像に至るケープパーク内に遊歩道を整備しました。ポケットパーク(地球が丸く見えるん台、夕日と風が見えるん台)、休憩所、案内板、展望台、ベンチ、外灯、公衆トイレ、詩碑、見尾火灯明堂(復元)などが設置され、灯台のライトアップも始まりました。

1999年 灯台守125年の歴史に幕を下ろす

平成11年(1999)3月31日をもって御前埼航路標識事務所が閉所し、125年にわたる灯台守の歴史が終わりました。同年4月1日から静岡航路標識事務所の管理を経て、平成17年(2005)より清水海上保安部(清水港)が遠隔管理しています。

2003年 「NEW!!わかふじ国体」の炬火を採火

平成15年(2003)、第58回国民体育大会夏季大会セーリング競技が9月13日から16日まで、御前崎港海域で行われ、炬火リレーに使われる火が御前埼灯台で採られました。
火種は太陽光をレンズで集火し、トーチに点火、授産施設「つばきの家」の通所者によって運ばれました。

2006年 「御前埼灯台を守る会」が発足

平成18年(2006)5月1日に、御前崎市民らを中心とした有志により、「御前埼灯台を守る会」が発足しました。今日まで、毎年5月の灯台まつりや週末の灯台資料館の開設や情報発信など様々な活動を行っています。

2009年 「喜びも悲しみも幾歳月」の歌碑建立

御前埼灯台は灯台守夫婦の半生を描いた映画「喜びも悲しみも幾歳月」の主要舞台となったところです。この映画は、戦後復興の真っただ中にあった日本国民を元気づけてくれました。
この人生の応援歌ともいうべく名作の映画ロケが行われた事実を後世に伝承しようと灯台を守る会は、平成21年(2009)5月3日に灯台設置135周年、そして、待望の富士山静岡空港開港を記念して歌碑を建立しました。

2016年 平成の大改修でレンガ積みが現れる

平成28年(2016)、外壁塗装、階段部内壁板の張替え工事が行われ、建設当初のレンガ積みが現れました。
灯塔のレンガは長辺だけの段と小口だけの段を交互に積み重ねる「イギリス積み」で、内壁と外壁の間が空洞で支え壁を施した「二重円筒構造」であることが分かりました。

2018年 灯台建設時の役人の子孫が訪問

御前埼灯台の建設に携わった日本側の役人、今武高光氏の子孫(ひ孫、やしゃご)の家族6人が、平成30年(2018)4月22日、灯台を訪れ、先祖の名前が刻まれている「遷れい塚」を確認しました。このほかにも、別の子孫が2組訪れています。

2019年 灯台前広場「ウミエール」が完成

令和元年(2019)夏、灯台敷地の一部を国から御前崎市が取得し、公園整備をしていた灯台前広場が3月下旬に完成しました。広場は、灯台まつりなどのイベントに使用できるよう芝生スペースが多く確保され、遊歩道、パーゴラ(日陰棚)、トイレが配置されました。広場の愛称は、応募数294点の中から「ウミエール」に決定しました。

2020年 レンガ積み二重構造模型を設置

平成30年(2018)に行われた、灯台用地内埋設物撤去工事の際、建設当時のレンガや塀の塊、伊豆石が出土しました。
灯台を守る会は令和2年(2020)、出土物を活用して御前埼灯台の「二重円筒構造」を解説したレンガ積み模型を、灯台前広場に設置しました。

2021年 御前崎市初の国重要文化財に指定

御前埼灯台と旧官舎、旧回転機械分銅自動巻揚装置が令和3年(2021)8月2日、国の重要文化財に指定されました。御前埼灯台は、イギリス、フランス、オランダ、アメリカなどの列強が要求した8基の灯台に続いて、明治政府が独自に建設を推進した洋式灯台で、我が国最初の二重円筒構造レンガ造り、回転式一等レンズを搭載し、近代海上交通史上、価値が高いことが評価されました。

2021年 東京2020パラリンピック聖火、灯明堂から採火

令和3年(2021)8月24日から9月5日まで開催された東京2020パラリンピックの聖火リレーに使う火種が見尾火灯明堂の灯から採られました。採火は8月17日、会員扮する火の番役の村人によって栁澤重夫市長の持って来たランタンに移され、日本平の夢テラスで静岡県下35市町の火が集火された後、御前崎から菊川の公道、浜松市内の競技場で聖火リレーが行われました。

2021年 旧レンズ回転機械分銅巻揚装置を展示

第二次世界大戦で米軍の艦載機により機銃攻撃を受けて破損した初代レンズに代わる国産の第三等2面大型転レンズを回転させる昭和25年(1950)製の分銅巻上げ機です。解体されて倉庫に保管されていたものを、御前埼灯台の重要文化財指定にあたり御前崎市が譲り受け、元の姿に復元しました。

2021年 灯台を守る会、海上保安庁長官より表彰

御前埼灯台を守る会は、灯台の歴史文化の伝承や海事広報に協力したとして令和3年(2021)11月1日、海上保安庁長官から感謝状を授与されました。
過去にも、平成28年(2016)に清水海上保安部長、令和2年(2020)に第三管区海上保安本部長より、表彰されました。

「喜びも悲しみも幾歳月」映画ロケーション

2つの重要なシーンで登場する御前埼灯台

昭和32年(1957)に松竹映画「喜びも悲しみも幾歳月」のロケーションが、佐田啓二、高峰秀子、田村高広、中村賀津雄らを迎えて行われました。静岡県浜松市出身の木下恵介氏が監督としてメガホンを取りました。
御前崎(御前崎町当時)でのロケは、映画中盤で戦時中の空襲を受ける場面と、クライマックスシーンで慈しみ育て上げた娘が、結婚して婿と共に外国へ旅立つ船を灯塔の手摺りから見送るという喜びも悲しみも幾つもの苦労をしてきた夫婦の心温まる場面と、物語の最も重要なシーンの収録となりました。
松竹映画人気スター出演によるロケとあって、噂が噂を呼び連日押すな押すなの人混みで、中にはこのロケを見ないと話の種にならないと弁当持参組もたくさん見られたそうです。

「喜びも悲しみも幾歳月」の概要

ある灯台守の妻の手記からヒントを得て、木下監督が作り上げた夫婦の一代記。上海事変の1932年、新婚早々の一組の夫婦が観音崎灯台に着任した。二人の生活は、戦争に翻弄される日本と同じ苦労をたどる。戦後も、一人息子の死や娘の結婚という悲喜こもごもの連続であった。
25年にわたる夫婦の姿を通して、木下は『二十四の瞳』と同じように、日本の同時代史を見事に描いてみせる。木下は、日本人好みの感傷を織り交ぜながら、波瀾万丈の一代記をうまくまとめあげ、北は北海道の納沙布岬から南は五島列島の先の女島まで、全国15か所に縦断ロケを敢行し、その後のロケ地とのタイアップによる製作方法のさきがけとなった。作品は記録的な大ヒットとなり、「おいら岬の~ 灯台守は~」で始まる映画の主題歌も、行進曲風なアレンジによる若山彰の歌唱により、多くの人々に親しまれた。「キネマ旬報」ベストテン第3位。

スタッフ

原作・脚本・監督…木下恵介
撮影…楠田浩之
照明…豊島良三
録音…大野久男

音楽…木下忠司
美術…伊藤熹朔 
美術…梅田千代夫

出演者

有沢きよ子…高峰秀子
有沢四郎……佐田啓二
光太郎………中村賀津雄
雪野…………有沢正子
藤井たつ子…桂木洋子
野津…………田村高広

名取…………北龍二
名取夫人……夏川静江
進吾…………仲谷昇
金牧…………三井弘次
金牧の妻……桜むつ子

松映画人気スター出演によるロケとあって、噂が噂を呼び連日押すな押すなの人混みで、中にはこのロケを見ないと話の種にならないと弁当持参組もたくさん見られたそうです。

地元の人たちの空襲シーン出演

地元の婦人消防団員も竹槍訓練のエキストラとして参加し、自衛隊機も加わって灯台への爆撃、機銃掃射の場面が撮影されました。

映画から50周年を記念したイベント

平成19年(2007)5月、御前崎ロケ50周年にあたり御前埼灯台を守る会が主催で木下恵介監督の実弟木下忠司氏の講演会が行われ、主題歌の歌碑も建立されました。